プロフィール

氏名/馬場 成志(ばば せいし)

生年月日/昭和39年11月30日

家族/妻・二男二女・母・義母

好きな言葉/気力に缺くるなかりしか

●略歴

昭和39年 11月30日 熊本市小山町に生まれる
昭和52年 託麻東小卒業
昭和55年 二岡中学卒業
昭和58年 熊本工業高校建築科卒業
昭和59年 産業開発青年隊訓練所修了

●議員活動略歴
各項目をクリックすると詳細を見ることができます。

○平成3年 熊本市議会議員初当選
 熊本市住宅協会理事 など

ひとりの みんなの 馬場せいし


profile_h3_1.jpg平成3年4月21日初当選【48位、得票数/3,430票】 早いもので市議に挑戦して、もう10年が経ちました。当時、私は代議士や県議の秘書(と言うか下働きのようなもの)を経験していく中で、生活に一番密着している市の行政に関心を持っていました。多くの人たちが市に対して「なかなか対応してくれん!」と愚痴をこぼしていたからかもしれません。市役所も議員さんの言うことにはすぐに対応していましたが、一般の陳情に腰が重かったのは事実でした。(現在では財政難という理由で出来ないことが多いようですが)

 私は秘書という立場上、市会議員の方々に相談事ができましたが、一般の方々は相談事があっても、「ささいな事じゃ相手にしてくれんど」とか「相談するとお礼がいっとだろ」などと心配して「やっぱ、やめておこう」と考えられるようで、私がどんなに「心配はいりませんよ。」と言っても解ってくれません。日頃、議員の選挙を一生懸命応援される方々のなかにも「なかなか相談はしにくい」という多くの声を聞きました。

 これじゃいかん、これでは大事なことも伝わらん、市民の声あっての市政という原則が成り立たない!「もっと話し易い議員が必要だ」と思い立候補を決意しました。
 気軽に話し合えるということと、ひとりの声そしてみんなの声を大事にしていきたい、そんな意味を込めてポスターを作りました。候補者は20代、後援会の役員さんたちも40歳以下という本当に若い世代の挑戦で、沢山の皆様に相当ご迷惑をお掛けしましたが、なんとか当選させて頂きました。

熊本市議会史上最年少の26歳の議員誕生でした。最近、後援会の方と初出馬の時のポスターを見ながら「よ~こぎゃん子供みたいなのを応援しなはったですね」と言ったら凄く怒られました!そして当時の苦労話と市民の代弁者としての期待が大きかったことを改めて聞き、身の引き締まる思いと感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。
(平成13年6月ホームページ開設にあたり)

平成3年、飽託4町を合併して初めての市会議員選挙が行われ、定数56名のうち20名もの新人が当選した。当時の市政に対して変化が求められた結果だろうか。 この年、雲仙普賢岳の噴火災害が起きた。
平成5年、中選挙区で最後の衆院選があり、新党ブームで細川政権が発足、自民党が政権から離れた。
平成6年、熊本市長選で、県議の三角氏、自治省出身の木村氏、そして機能病院の米満氏他の戦いとなり三角市長が誕生した。
平成7年1月には阪神大震災という未曾有の大災害が起きた。

〈任期中の主な役職〉

  • 建設・公営企業各常任委員、長寿社会特別委員、熊本市住宅協会理事、熊本市民会館運営委員、産業文化会館運営委員、自民党県連青年部副部長

profile_h3_2.jpg市議初挑戦の出陣式で

○平成7年 熊本市議会議員二期目当選
 熊本市農業委員、熊本市都市計画審議委員 など

します! やります! がんばります!!


profile_h7_1.jpg平成7年4月23日二期目当選【10位、得票数/4,916票】 市会議員に当選して、一期目はとにかく一生懸命やるだけでしたが、二期目はひとつの仕事をする上でも進め方や考え方が進歩し、仕事がおもしろくなってきた。予算の方は少しずつ厳しさを感じるようになってきましたが「市議の仕事は市民と直結!待ったなし!」という気持ちを持って仕事に取り組んでいきました。

 平成6年の市長選で木村さんを応援して負け、しばらく野党的立場になったことも経験になりました。緊張感と危機感が増し「戦わねばならん!!」といった気持ちの盛り上がりにもつながり、市の行政を違った角度からも見ることが出来ました。また、市議の仕事として何かを作り出すこと以外に、環境問題等について関心を持ち始めたのもこの頃だったように思います。

 後援会の活動も一期目にまして活発になってきました。ミニバレー大会やボウリング大会に加え、野球チーム「せいちゃん」なども出来、熊本市民早起き野球大会では2年目でブロック代表を勝ち取るなど成績は上々でした。(私も投手として活躍・・?)

平成8年、熊本市は中核市となり以前に増して県からの権限移譲が進み行政範囲が広くなってきた。今後はさらに分権が進むでしょう。任期の後半に入った頃は、「早く三期目の選挙をしたい!三期生になって、もっともっと沢山の仕事がしたい!」との思いが強くなり(まさか)県政へなどとは考えてもいませんでした。

平成7年の市議選は条例で4人減らし定数52名となった。また7月の参院選では自民、社会、さきがけ連立の中で、自民党の三浦氏、新進党の阿曽田氏が初当選。
平成8年には現在の小選挙区制初の衆院選が行われた。県議出身の岩下氏を応援したが、相手は元総理の細川氏で完敗だった。

〈任期中の主な役職〉

  • 総務常任委員会副委員長、保健衛生常任委員、スポーツ振興対策特別委員、熊本市農業委員、熊本市都市計画審議委員、自然保護審議会委員、公害対策審議会委員、自民党県連青年部長

profile_h7_2.jpg野球チーム「せいちゃん」結成時の面々

○平成9年 熊本県議会議員初当選
 農政常任委員、国民体育大会対策特別委員 など

県議会へ


profile_h9_1.jpg平成9年12月21日県議補選初当選【2位、得票数/32,425票】 熊本県議会熊本市選挙区は定数18名、欠員が2名以上でると補欠選挙が実施される。
 その補欠選挙が平成9年12月に行われることになりました。岩下県議が衆議院議員出馬のため辞職していたのに続いて、あろうことか、父、三則の死去で欠員が2名になったからです。

 父は旧託麻村会議員、熊本市合併後に市会議員、そして県会へと駆け上がりました。敵もあったが多くの方々に愛されそして支えられて平成6年には県議会議長まで務めさせて頂きました。亡くなったのは11月でしたが、実はその年の3月に死の宣告を受けており、9月に入った頃私に「もし俺が死んだら補欠選挙があるぞ」と冗談のように、しかし、心掛けておけとでもいうように言ったことがありました。
 私は「市議会の方がやりがいがあるし、面白か、県会には出らんバイ!」と答えました。父に何もしてあげることが出来ない悔しさと、「親父が死ぬわけがない!」と信じたい気持ちがそうゆう返事になったのだと思います。しかし、それは現実となりました。享年58歳でした。

 テレビ等のニュースで父の死の報道をすると同時に、補選の施行も報道された。補選は50日以内に行われる。決断しなければならない!市議を辞め県議に出るのか? しかし自分が志した仕事は市政にある。しかも、市会議員として残り1年半の任期を放棄することは支持者を裏切ることにならないか?県会に行って自分に何が出来るのか。いや、それ以前に県政で何がやりたいのか? しかも、1万票が当選ラインである通常の県議選であれば長年父を押し上げていただいた後援会もあるが、今回の補選では3万票以上の得票が必要等々……。

当然すぐ出馬表明をするだろうと思っていた父の後援会の方々から出馬要請の声が出てきた。「自分たちの声を県に届けてくれ!」「誰かがやらにゃならん!これは成志の仕事ぞ!」と言われました。「あのときと同じかもしれない」市議挑戦のときに志したことを、県政の場でやれといわれている。舞台が変わっても声をつなぐということに変わりはない。私の後援会も父の後援会と同じように「頑張れ!」と言ってくれた。いつまでも迷ってはいられない。いろんな思いを振り切って父の初七日が済むと同時に選挙戦に入った。市議選に挑んだ時と同じ気軽に話せるということ、加えて市政と県政を繋ぐ”それのみ力を注ぐ”と訴え選挙戦に望んだ。
 本当にたくさんの方々に支えて頂き、父の七七日(四十九日)には当選の報告をさせてもらいました。

※補選は告示前に大西靖一議員の辞職に伴い最終的に3議席に増え、平野みどり氏、大西一史氏とともに当選した。熊本県議会は定数56名で選挙区は各郡市単位に分かれ熊本市以外は定数3人以下だ。一人区は欠員が生じると同時にそれ以外は2名以上の欠員が生じた場合補欠選挙が行われる。因みに熊本市議会の場合6分の1以上の欠員つまり9人以上で行われる。

〈任期中の主な役職〉

  • 農政常任委員、国民体育大会対策特別委員、決算特別委員、自民党県連企画行財政部会、副部会長

profile_h9_2.jpg当選後、応援いただいた後援者の方々へお礼の挨拶

○平成11年 熊本県議会議員二期目当選
 文教・治安常任委員会副委員長、自民党県連建設交通部会長、総務常任委員長 など

次世紀の子供たちに何を残そう


profile_h11_1.jpg平成11年4月11日二期目当選【5位、得票数/14,672票】 県議になって1年半、早くも次の県議選が迫ってきました。市会から県会へ、自分が手掛けていた市での仕事、父が手掛けていた県での仕事、そして毎日の陳情等で目が回りそうに忙しい1年半でした。県議選では市議経験者として即戦力を叫び当選させて頂いたのに空回りの連続でした。
 平成10年6月、衆議院では細川氏の突然の議員辞職で補欠選挙(岩下氏当選)、そして7月には参議院の選挙(木村氏、本田氏当選、残念ながら浦田氏は及ばず)と続き、ほっと一息ついた時には季節はもう秋で県議選が始まっていました。

 現職として2回目の選挙ですが、私にとっては今回が初戦と同じようなものです。補選の時応援して頂いた自民党の先輩の県議も今回はライバル。前回の弔い合戦とはちがう。しかし泣き言を言っても始まらない。今後の仕事に対する不安と迫る県議選への不安を打ち消すため、まず始めたことは地域を歩き、実情を知ることでした。

 後援会の皆さんと一緒に支援を訴えると同時に、その地域地域の道路や水路、危険個所などを見せてもらいながらとにかく歩き回りました。後で聞いたことですが、ご一緒して頂いた後援会の役員の方たちはひざや腰が痛いのを隠し、無理を押して案内してくれました。若い青壮年部や女性部の皆さんとは走って回りました。

 地域の事情が解ってくると陳情内容の理解度も深まり、現場の生の声を聞けば「やるぞ!」という力が湧いてきます。事務所には毎日朝から晩までかわるがわる応援に駆けつけて頂き、選挙戦は俄然盛り上がってきました。そして、多くの方々の応援を頂き当選を果たすことが出来、今度はまるまる4年の任期を頂くことが出来ました。
 国政と同様県政も苦難の時期ではありますが、次世代を担う子供たちに何を残せるのか!県民の皆様の期待に少しでも応えられる様、力一杯がんばってまいります。
(平成13年6月ホームページ開設にあたり)

※平成11年2月、福島譲二熊本県知事は3期目のスタートにあたり潮谷義子さんを副知事に任命した。翌12年2月福島知事が急逝、選挙戦は潮谷副知事と阿曽田参議の激しい戦いとなり、結果全国で2人目の女性知事として潮谷知事が誕生した。同時に阿曽田参議の辞職に伴う参院補選が行われ、魚住氏が当選した。

〈任期中の主な役職〉

  • 建設常任委員、文教・治安常任委員会副委員長、農政常任委員、交通対策・環境対策各特別委員、地域対策特別委員、熊本県美術館協議会委員、自民党県連建設交通部会長、自民党全国青年議員連盟、広報本部長、総務常任委員長

profile_h11_2.jpg開票を待つ後援者の方々(選挙事務所)profile_h11_3.jpg当選後、うれしいだるまのめ入れ。中央は下村後援会長、右は山本選挙長

○平成15年 熊本県議会議員三期目当選
 厚生・農林水産・財政対策各委員長、自民党県連青年局長、自民党青年局中央常任委員会議長 など

今、くまもとにできること
今、くまもとがすべきこと


profile_h15_1.jpg平成15年4月13日三期目当選【4位、得票数/15,975票】 選挙前の3月に熊本にとって大きな出来事がありました。それは熊本市周辺の2つの町の住民投票です。政令指定都市を目指す熊本市と合併するかどうか、植木町と西合志町の住民からその意思を問うものでした。

 政令市の問題を広く理解してもらう為にホームページ上に紹介してきましたが、熊本が発展するチャンスはこの政令市特例しかない、うすらぼんやりした県のままでは駄目だ核をつくらなければならないという強い思いからです。
(詳しくは「熊本市の政令市推進」をご覧ください。)

選挙戦は前年の暮れから始まっていたが、各校区においての県政報告をはじめあらゆる機会を通して政令指定市の意義を説明して回った。時には白熱するあまり口論になったり選挙のお願いを言い忘れたりと、気合いが入り過ぎて空回りの所もありました。また、急ぎすぎだとのご指摘もありましたが「今、やらなければならないこと」だったのです。

しかし残念ながら結果は反対多数で合併協議会の設置も出来ませんでした。合併話が進めば実質的に市町村だけの問題ではなく県の協力体制が必要なので、力を注ぎたいと考えていましたが前提が崩れ将来に対して大きな不安を抱きながらの選挙戦になりました。

 落胆する思いの中で皆さんに訴えたのは、自分の身の回りが一番大切であることは間違いありませんが「少しだけ未来のことを真剣に考えましょう」真剣に考えれば政令市の問題は見えてくる。まだまだこれからだということでした。

選挙は皆様のお陰ですばらしい成績で当選することが出来、議会においても幾つもの要職を務めることになりました。しかし政令市昇格の為の最後のとりでであった益城町との合併話も否定され、特例期間内の昇格は断念せざるをえなくなりました。
 理想と現実に大きな隔たりがあるのは当然の事でありますが、私達行政に関わるものがもっと沢山の人たちに正確にそして親切に情報を提供していくことが大切であると実感しました。とても難しい事ですが努力を重ねていきたいと思っております。

〈任期中の主な役職〉

  • 厚生常任委員長、農林水産委員長、財政対策特別委員会委員長、自民党県連青年局長、自民党全国青年議員連盟副会長(九州ブロック会長)、自由民主党青年局中央常任委員会議長

profile_h15_4.jpg県政報告会の様子profile_h15_2.jpg受付の成三会(女性部)の皆さんprofile_h15_3.jpg励ます会でガンバロウー

○平成19年 熊本県議会議員四期目当選
 副議長・議会運営委員長、道州制問題等特別委員長、自民党県連政調会長 など

まけない熊本、
はばたく熊本。


profile_h19_1.jpg平成19年4月8日四期目当選【3位、得票数/15,222票】 3期目は国と地方の関係が大きく変化した4年間でした。小泉内閣の「三位一体改革」と戦いながらいかに県行政をスリム化し、県民生活の必要な分野を守っていくかに力を尽くした任期でした。そして道州制など県レベルの合併が現実味を帯びるほどに行政の役割やシステムが目まぐるしく変化し、次の4年間は単なる4年ではなく、熊本に住む私たちの将来を占う大切なものになる。そうした中で、今回の選挙では議員の定数が熊本県下全域では6減、熊本市区では2減となりました。このようなこともあり、これまでより厳しい選挙戦になるとともに、有権者にとっても声を継ぐ意味から重要な選挙となりました。

 しかし、これまでと同様に地域や支援者の皆様との座談会など、対話を重視し、また更に幅広い皆様方と触れ合う機会を後援会の皆様につくっていただいたおかげで4期目の当選を果たすことができました。
5月には「第84代熊本県議会副議長」に就任いたしました。大任を請け、責任の重さを痛感しながら若い力の代表として、県民の皆様に県議会をもっと身近に感じていただけるよう、その職務を全うすることを目標に掲げました。

〈任期中の主な役職〉

  • 副議長・議会運営委員長、道州制問題等特別委員長、自民党県連政調会長

profile_h19_4.jpg励ます会にて気持ちをこめて「ガンバロー!」profile_h19_2.jpg出陣式で「いざ出陣!」profile_h19_3.jpg当選後に万歳三唱!皆さんありがとうございました!

○平成23年 熊本県議会議員五期目当選
 熊本県議会議長、全国都道府県議会議長会 副会長 など

みんなでつくる
みんなとつくる
熊本の話をしましょう。



profile_h23_1.jpg平成23年4月10日五期目当選【3位、得票数/14,917票】 おかげさまで、4期目となった県議活動は、議会、党務ともに重要なポストを頂きました。特に自民党県連では政調会長となり、政務調査と政策立案、議案の取りまとめ役として走り回った任期になりました。
 4期目の当初副議長就任の折「議会を身近に」ということを目標に掲げました。私が若いということもあってか、様々な分野の方々から多くの叱咤激励を頂戴することもあった反面、若さとそのバイタリティーで私の方からも直接出掛けていくことで成果をあげることができたと感じております。
 熊本県は、九州新幹線が全線開業し、熊本市の平成24年4月の政令指定都市移行に向けて、利便性と注目度が格段に向上します。その郷土の可能性を見極めながら課題解決のため、更に奮闘していかなければなりません。

 このような思いの中、5期目の選挙を目前にした「励ます会」を明日に控えた平成23年3月11日、東日本大震災が起こりました。被害を受けた方々への思いもあり、「励ます会」の中止も考えましたが、敢えて、皆様からの励ましを頂き、会を挙行していただきました。そして皆様の前でマイクを持ちながら次の4年間の最重要課題として防災、危機管理に力を尽くすことを誓いました。
 4月に無事当選させていただき、5月に「第81代熊本県議会議長」に就任、そして6月に「全国都道府県議会議長会・副会長」に選ばれました。
 7月には蒲島県知事と宮城県東松島市を訪れ、東日本大震災に対する意見交換と激励を行い、災害に対しての意識を強く持つことを知事共々、再確認いたしました。


※平成20年4月潮谷知事の任期満了と同時に蒲島郁夫知事が誕生しました。蒲島知事は農協職員から東大の教授になった異例の経歴の持ち主で、苦労人であること人生で大成功した人であること、また様々な人脈を持つ人として期待を集めました。そして9月リーマンショックによる世界経済への大打撃は日本経済にも大きな影響を与えました。直後の経済対策において自民党県連、国会議員の連携のもと熊本県は全国でも突出した補正予算を組み、また金融対策のメリットを最大限活用することにより熊本県経済へのショックを柔らげることが出来ましたが、しかし景気の上昇ということに至った訳ではなくその後も対策が求め続けられています。
 その後政権交代が起きました。
 多くの国民が、長く政権を担ってきた自民党から「国民の生活が第一」を掲げた民主党の政治に期待しましたが、素人の舵取りで「国を動かすこと」は並大抵のことではありません。それは県政にも影響を与えています。また今後、政府の動向によっては厳しい生活を国民、県民の皆様に強いることになりかねません。
 私たち自民党県議団は、県政与党である責任と自負を持って皆様の期待に応えるべく汗をかき精進して行く所存です。
 今後とも、叱咤激励の程、よろしくお願い申し上げます。

〈任期中の主な役職〉

  • 熊本県議会議長、全国都道府県議会議長会 副会長

profile_h23_4.jpg1,800名の方が起こしになった、励ます会での樽開きprofile_h23_2.jpg出陣式においで頂いた後援者の皆様profile_h23_3.jpg五期目当選でだるまの目入れ

○平成25年

7月 参議院議員当選(第23回)
8月 参議院農林水産委員
10月 参議院決算委員
10月 参議院災害対策特別委員
11月 自由民主党組織対策本部農林水産関係団体委員会副委員長

○平成26年

9月 自由民主党農林部会副部会長
10月 参議院予算委員会理事

○平成27年

7月 参議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会理事
11月 自由民主党国会対策委員会副委員長
11月 自由民主党水産部会副部会長
11月 自由民主党地方組織・議員総局次長

○平成28年

1月 参議院議員運営委員会理事
8月 厚生労働大臣政務官


●その他

熊本県体操協会会長(休職中)、熊本市軟式野球連盟会長(休職中)

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  • 馬場せいし後援会事務所
  • 〒861-8045
  • 熊本市東区小山6丁目2-20
  • TEL╱096-388-8855
  • FAX╱096-388-8866
  • [国会事務所]
  • 〒100-8962
  • 東京都千代田区永田町2-1-1
  • 参議院議員会館1016号室
  • TEL/03-6550-1016
  • FAX/03-6551-1016
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